やっと終わります、帰国編
また、ブログ更新をさぼっていました。
ちょうど、ボランティアでかかわっているイベントの山が越えて、9合目くらいまで
きたので、ホッとしたとこ。
なんだったっけ?そうそうポルトガルの最後のとこを書く直前で、
パソコンが壊れたのですね。
今、新しいパソコンを買って記事を書いてるんだけど、そ~そ、
うっかり写真のデータが消えてしまったかも、、、です。
旅行直後に作ったバックアップのCDを取っていたんだけど、
それが、、、ない。あれ?
消えたCDが私の厄払いと思おう。もしくはまたスペイン・ポルトガルに行け
ということか?そ~かもしれん。
ということで、今回は写真なしでごめんなさい。
■06年3月9日
ポルトガル出国→ロンドン→大阪関西国際空港→福岡
ポルトガルからロンドン、ヒースロー空港までは英国航空。
途中に出たホットドックを「え?これいくらですか?」と聞いた私、はずかしー!!!
だって、イベリア航空(スペインの航空会社)は有料だったんだもん。
でも「これは無料ですよ」と苦笑いしながら教えてくれた男性(おじさん)
と話し始めるきっかけになった。
そのおじさんは大学の美術の先生で、
大阪の大学で短期間滞在していたことがあるらしかった。
私たちを(こいつら日本人だ!)と、日本について話したかったみたい。
その美術の先生と「棟方志功(むなかたしこう)」について語り合ってしまった。
というと英語ぺら~みたいだけど、まったくちがう。
なに話したんだろう?う~ん、熱く語ったことだけ覚えている。
たぶん、10日くらい外国語(しかもスペイン語だのインチキポルトガル語だの)
で話しつづけたから、厚かましくなってたんだろう。
おじさんは米国人で、ポルトガルで会議があって、アメリカに帰る前にロンドン
で暮らす娘のとこにちょっとゆっくりして、そっから帰るとのこと。
(どうして私の英語力でその時は理解できたのか?なぞだ)
そんなこんなで楽しく過ごせたがヒースロー空港に着いた時は、
乗り継ぎに1時間ちょいしかなかった。天候不良で遅れたのだ。
母と私はダッシュでフライトコネクションへ向かう。
ヒースロー空港は天井は低いし、蛸(タコ)みたいな空港だ。どこにいるんだか、
あとどのくらいで、行きたいゲートにつくんか、さっぱりわからん。
フライトコネクションは天候不良のためか、常時そうなのか、ごちゃごちゃしていた。
そのうえイギリスはセキュリティが厳しい。
その前年にロンドンはテロがあったばかしだったし。
「あなた同じ飛行機だったでしょう?キャセイで香港に帰るの?」
後ろに並ぶ女性に聞かれた。
「いや日本人です。JALで日本に帰る、私はあと1時間」
「私は30分しかないわ~」とイライラする彼女。
そしたら、周りの人が口々に
「急がなきゃ」「行きなさい、行きなさい」と促しはじめた。
追い越しても誰も文句言わない。
で、彼女は「ありがとう、がんばってみるわ」みたいなこと言って消えていった。
セキュリティチェックもうまく通過した。
「お客様~、お急ぎください」みたい世話焼きはなけど、
なんかいいなあ、こういうの。こんなときは、Good Luckだよね、やっぱ。
私たちも何とか通過して、さあゲートに急ぐぞ!というときも、
”ザ・お土産魂”の母は、
「あら~、ハロッズのあるばい」とか、のんきに言っている。
「もう見らんよ、行くよ、行くよ」せかす私。
JALの機内はもう日本だった。ふ~、安堵感と、あ~あ、って気分と両方だった。
帰りは覚えていない。
無事に大阪に着いて、福岡に乗り継いで、博多駅にむかう地下鉄で
「じゃあね~、気をつけて熊本に帰ってね」と母と別れた。
なんだか濃い12日間だった。
母との旅行もいいかもしれない。鍋を買うのはカンベンしてほしいけどね。
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後ろにそびえるのが、サグラダファミリア。


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